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英雄たちが愛した歴史的スパイクVOL.59 「アシックスの名品スパイクその1・XL編」

前回、前々回ご紹介した70年代後半にデビューしたプーマとアディダスのモデルはどちらもアッパーはカーフ製でした。西ドイツの2大メーカーとともに昭和時代に日本代表をサポートしていたアシックス(オニツカ)タイガーの名品スパイクも数多くあると思いますが、同じカーフ製で同時期の舶来製品に対抗した日本製モデルのご紹介です。

ไอคอน 29634314 1815368455432881 1085668874 oHiroaki Konishi | 2021/08/16
     一昔前までは、どのメーカーも最高ランクのスパイクはカンガルー革製であることが多かったと思いますが、カーフ革が好みというプレーヤーも少なからずおられたようです。
 カンガルー革製のサッカースパイクが登場し始めたのはおそらく70年代半ばで、それまでは廉価版は布製、高級モデルが牛革製でした。
 アシックスの場合、私が知る限り72年までのモデル名は「DX」とか「SP」などで、図1はそのころのものです。おそらくミュンヘン五輪にちなんで、かかとに「München DX」のロゴがあります。 Thumb efbc92รูปที่ 1 オニツカタイガー・ミュンヘンDX見慣れたアシックスのラインの名称は68年メキシコ五輪に合わせてできた「メキシコライン」だそうです。このころは縦の2本が外側に縫われています。 

 また、73年ごろから固定式がインジェクター、取替え式がシャぺというモデル名になりました。それと同時にモデル番号が付記され100番台から始まりました。

 
 西ドイツメーカーのスパイクはW杯にちなんだモデル名がありますが、まだプロもなく、W杯には無縁だった日本のメーカーの70年代の最上級モデルは、五輪にちなんだ名前がつけられていました(図2)。 Thumb efbc93図2 77年ごろ(オニツカ時代、左)と、79年ごろ(アシックスに改名、右)の上級モデル。五輪モデルが最上級でカンガルー革製、XLは一ランク下の価格でカーフ革製。 

 アシックスのスパイクは年を追うごとにモデル数が増え、200番台が78年に、300番台が79年に登場しましたが、ラインの形状のためかアディダスやプーマのようにスパイク自体にモデル名が記されておらず、よほどのアシックス通でないと数字だけではモデル自体を判別できなかったと思います。
 

 それが理由だったかはわかりませんが、ラインが黄色ですぐ判別でき、モデル名もややこしい数字ではない「XL」が70年代後半に登場しました。アッパーが高級な牛革のカーフであることが特徴でした。
Thumb efbc94รูปที่ 3 初期型インジェクターXL。当然、取替え式のシャぺXLもありました。シュータンマークは「Onitsuka」ですが、箱はアシックスと記されています。 

 80年代になって数字のモデル数は激増し、400、700、800番台が登場します。しかし、XLは80、81と年度の数字が付きますが、構造上大きな変化はなく、相変わらず黄色ラインのカーフ革モデルとして継承されました。
 
 
 82年になると黄色ラインはそのままですが、「XL」が消滅してしまい、モデル名が数字のみの775になり、固定式ソールは黒いポイントになりました。さらに84年ごろにはポイントは白に戻りましたが、2種類の素材でできた(当時の)ハイテクソールが採用されました。 Thumb efbc95รูปที่ 4 めまぐるしく変化した「XL」の後継モデル(80年代前半)。 

 アシックスはアディダス、プーマとともに昭和時代の日本代表のサポートメーカーでしたので、何年かに一度は日本代表選手が上から下まですべてアシックス製品で試合をしました。

 また、JSLもアシックスと契約するチームがいくつかありましたので、クラブチームでもアシックスのスパイクを愛用される一流選手も多くおられました。白ラインだとモデル名がよくわからない場合が多いですが、黄色いラインの選手はその当時よく目立ちました(図5)。
 Thumb efbc96(図5)XL愛用選手たち。前日本代表監督の西野選手(左)、81年ゼロックス杯でディエゴ様をマークする田中選手と(おそらく)野村選手(右、富越さんの写真です)。チーム全員が黄色ラインということはなく、同じ画角に黄色ラインの選手が2人いるのは珍しいと思われます。 

 当時のJSLでアシックスと契約しているチームは、プーマメインの読売クラブやアディダスメインの日産以外の、どちらかというと(失礼ですが)地味なチームが多かったのですが、後に日本サッカー界の英雄となるお二人も80年代半ばまで黄色ラインのアシックスモデルを履いていたことがありました(図6)。
Thumb efbc97รูปที่ 6 黄色ラインのアシックススパイクを履いてプレーするラモス選手(左)とブラジル時代のカズ選手(右)。 

 カズ選手はその後プーマと契約し、信じられないことですが、今も現役選手としてプーマをご愛用なのはご存じだと思います。
 ラモス選手は来日当初の70年代後半からアシックスのスパイクを履いておられましたが、80年代前半は読売クの多くの選手同様プーマにされました。

 ただ、私が思うにラモス選手のプーマの愛用モデルはかなりマニアックで、おそらくそれが製造中止になった後の80年代半ばから、再度アシックスの黄色ラインのモデルに変えられたようです。黄色を好まれたのは母国ブラジルのイメージがあったからかもしれません。
 

 さて、80年代後半になると、日本でも世界のサッカーがだんだん身近になり、国内メーカーのアシックス、ミズノも海外に進出するようになります。


 アシックスは90年イタリアW杯を前にバレージ選手やビアリ選手など、イタリアの有名プロ選手と契約し、スパイクもイタリアにちなんだモデル名がつくようになりました。 また、まだ黒いスパイクが主流だった時代でしたが、アシックスに限らずどのメーカーのモデルもソールやデザインが派手になっていきました(図7)。 Thumb efbc98รูปที่ 7 80年代後半のXLの後継モデル(上)とその他のアシックスモデル。黄色ラインにカーフ革アッパーは継承されつつも、ソールまで黒、黄色になった86年モデル(左上)。ソール色は黒、白に戻されたがイタリアにちなんだ名前がつけられた88年モデル(右上)。 数字もモデルが把握しにくいですが、さらに名前と実物が結びつかなくなりました。 

 ラモス選手は87年まではアシックスの黄色ラインのスパイクを愛用していましたが、その年のリーグ戦では再びプーマでプレーし、88年のリーグ戦開始前に、当時は珍しかったナイキのスパイクに変更されました(図8)。

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รูปที่ 8
 87年のゼロックス杯で、アシックスのスパイクを履いてディエゴ様をマークするラモス選手(左)。
その後のリーグ戦では再びプーマを使用されました。中央は88年1月の静岡カップで新品のベルトマイスターを履くラモス選手。これがおそらくラモス選手が最後にプーマを履いた時だと思います。その後、ナイキと契約されたばかりのラモス選手(右)。ナイキも最初は黄色ラインのモデルでしたが、プロトタイプだったようでラインが剥がれそうです(右)。 

 90年ごろの雑誌の対談でラモス選手はカーフ革でシンプルなスパイクが好みであることを語っています(図9)。

 アシックスのカーフ革モデルがだんだん派手になっていったこと、国内ではパラメヒコにおされ、西ドイツ製のベルトマイスター(これもカーフ製)の供給がままならなくなったことなどが、ナイキへ心変わりした一因だったのかもしれません。Thumb efbc91efbc90รูปที่ 9 記事の切り抜きをお知り合いからいただいたので、もとの雑誌名がわからず申し訳ありません。ラモス選手が語られた部分のみ抜粋しています。 

 ラモス選手は89年に日本に帰化され、ラモス瑠偉選手になり、90年からは日本代表に加わります。初代表はカズ選手と同じ北京アジア大会で、その時はナイキのスパイクでプレーされましたが(図10左)、91年になって再びアシックスのスパイクを履くようになりました(図10右)。
 Thumb efbc91efbc91รูปที่ 10 日本代表となったラモス瑠偉選手。90年アジア大会(左)、91年キリンカップ(右)。 

 アシックスに戻されてからは、以前のように黄色ラインのモデルを主に愛用されたようですが、91年ごろはまだラモス選手専用モデルではなかったようです。
92年に名品インジェクター2002が発売されますが、それ以前の日本代表選手のアシックスモデルについては個人的にナゾが多く、それについてはいずれ取り上げたいと思います。  

 そして、93年のアメリカW杯予選のころからは、よく知られたラモス選手モデルを使われ始め、それ以降長く愛用されました(図11)。
นิ้วโป้ง efbc91efbc92รูปที่ 11 「XL」の名称が復活したラモス選手シグネチャーモデル「インジェクター RAMOS XL-I」。
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年加茂ジャパンの時はシュータン裏に日の丸の刺繍がある特別モデルでした。
 

 ラモス選手モデルのデザインは2002に似ており、高級モデルのXL-Iはアッパーも80年代のXLとは異なりカンガルー革です。
    
 図12は最近入手した懐かしい黄色ラインのスパイクですが、サッカーショップKAMOを通してオーダーした特注モデルだそうで、オリジナルのXLによく似ています。 Thumb efbc91efbc93รูปที่ 12 2002年ぐらいの特注品だそうです。アッパーもカーフ革のようです。きっと昔のXLをよくご存じの方がオーダーされたのでしょう。右はこのモデルに似たシュータン裏が黄色いモデルを履いて最後の日本代表の練習を行うラモス選手。 

 2002やラモス選手モデルの発売以降、それに類似したシンプルな高機能モデルが多数デビューしたようです。平成以降のスパイクについてはまったく知識がなく何も語れませんが、復刻版が出るほどの名品のルーツを知っていいただければ幸いです。
 

(画像はサッカーダイジェスト、サッカーマガジン、アフロ様などより転載させていただきました)